納車前に買いました。
オダーロスです。
カセットトイレの消臭剤はアクアケムが最もメジャーのようですが、匂いが強いようです。
我が家では匂いがあまりきつくないオダーロスを試してみることにしました。
いよいよ来週納車なのか?
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2014年9月30日火曜日
2014年9月28日日曜日
茨城をぶら~り
2014年9月23日火曜日
2014年9月21日日曜日
久々の芦野温泉
2014年9月17日水曜日
「マッサン」が始まります(最終回)
退職した竹鶴は、彼をを応援する方からの資金援助を受け、新しい会社を起こします。
もちろんウイスキーを造る会社です。そしてその工場を迷うことなく北海道は余市に作ります。
ウイスキーは5年は寝かせたい。そのためには、その間は何かで生計を建てる必要があります。
余市はりんごの産地であったことから、ウイスキーの仕込みと並行してりんごジュースを作って販売することにしました。
社名ですが寿屋のことも考えると、いきなりウイスキーの会社と名乗るのもはばかられます。
りんごジュースを作っているので「大日本果汁」としました。
後に「日」と「果」で「ニッカ」となったわけです。
その後いろいろな苦難はありましたが、あのヒゲのウイスキーが誕生するわけです。
このヒゲのウイスキーも最近は店頭から姿を見かけなくなったので、自宅の1本に手を付けられなくなっています。
6回にわたり竹鶴政孝さんについて語ってきましたが、そんな彼に付いて見知らぬ日本にやってきたリタさんの物語「マッサン」。9/29スタートです。
ご期待ください。
もちろんウイスキーを造る会社です。そしてその工場を迷うことなく北海道は余市に作ります。
ウイスキーは5年は寝かせたい。そのためには、その間は何かで生計を建てる必要があります。
余市はりんごの産地であったことから、ウイスキーの仕込みと並行してりんごジュースを作って販売することにしました。
社名ですが寿屋のことも考えると、いきなりウイスキーの会社と名乗るのもはばかられます。
りんごジュースを作っているので「大日本果汁」としました。
後に「日」と「果」で「ニッカ」となったわけです。
その後いろいろな苦難はありましたが、あのヒゲのウイスキーが誕生するわけです。
このヒゲのウイスキーも最近は店頭から姿を見かけなくなったので、自宅の1本に手を付けられなくなっています。
6回にわたり竹鶴政孝さんについて語ってきましたが、そんな彼に付いて見知らぬ日本にやってきたリタさんの物語「マッサン」。9/29スタートです。
ご期待ください。
2014年9月16日火曜日
「マッサン」が始まります(その5)
ウイスキー造りには第一にスコットランドに似た気候。第二に麦芽を乾燥させる際の燃料であり、ウイスキー独特なスモーキーフレーバーに欠かせないピート(泥炭)が近くで入手できることが必要です。
竹鶴は全国を調査した結果、この条件に適した場所である北海道の余市に工場を建てることを提案しました。
しかし、その提案はあっさり却下されます。
北海道はあまりに遠いために、せっかく工場を作っても、取引先に見に来てもらえないというのがその理由です。
妥協せざるを得なかった彼が選んだ地は、京都の大山崎です。現在もサントリーの工場があるのはご存知の方も多いでしょう。
大山崎で工場を造る際、かれがロングモーン蒸留所で記録してきたメモが活躍します。ポットスチルと呼ばれる蒸留器も彼のメモに基づき設計されました。
完成した工場でウイスキーの仕込みを始めます。ウイスキーは樽に積めてから何年間か寝かさないといけません。竹鶴は最低5年は寝かさないといけないと考えていました。しかしまたしても彼の考えは否定されます。会社から3年で出荷を始めるよう指示されます。
ウイスキー造りは任せると言われていたのに、まったく思い通りにいきません。
彼は退職を決意したのでした。
つづく
竹鶴は全国を調査した結果、この条件に適した場所である北海道の余市に工場を建てることを提案しました。
しかし、その提案はあっさり却下されます。
北海道はあまりに遠いために、せっかく工場を作っても、取引先に見に来てもらえないというのがその理由です。
妥協せざるを得なかった彼が選んだ地は、京都の大山崎です。現在もサントリーの工場があるのはご存知の方も多いでしょう。
大山崎で工場を造る際、かれがロングモーン蒸留所で記録してきたメモが活躍します。ポットスチルと呼ばれる蒸留器も彼のメモに基づき設計されました。
完成した工場でウイスキーの仕込みを始めます。ウイスキーは樽に積めてから何年間か寝かさないといけません。竹鶴は最低5年は寝かさないといけないと考えていました。しかしまたしても彼の考えは否定されます。会社から3年で出荷を始めるよう指示されます。
ウイスキー造りは任せると言われていたのに、まったく思い通りにいきません。
彼は退職を決意したのでした。
つづく
2014年9月15日月曜日
「マッサン」が始まります(その4)
日本に戻ると早速本格的なウイスキー造りが始められると思っていたのですが、摂津酒造の経営が思わしくなく、ウイスキー造りへの投資ができない状況となっていました。
せっかくスコットランドで本格的なウイスキー造りを学んできたのに、彼が造るのは以前と同じアルコールに香りと色を付けた紛い物のウイスキーでした。
そんな時、寿屋(現在のサントリー)が本格的なウイスキー造りを始めようということになり、スコットランドに技師をよこしてもらうよう依頼をしましたが、日本には竹鶴という青年がいるはずということになりました。竹鶴はこの誘いを受け入れ寿屋に入社することになりました。
ウイスキー造りについては竹鶴にまかせるということで、彼は意気揚々とウイスキー造りの準備にとりかかるのでした。
つづく
せっかくスコットランドで本格的なウイスキー造りを学んできたのに、彼が造るのは以前と同じアルコールに香りと色を付けた紛い物のウイスキーでした。
そんな時、寿屋(現在のサントリー)が本格的なウイスキー造りを始めようということになり、スコットランドに技師をよこしてもらうよう依頼をしましたが、日本には竹鶴という青年がいるはずということになりました。竹鶴はこの誘いを受け入れ寿屋に入社することになりました。
ウイスキー造りについては竹鶴にまかせるということで、彼は意気揚々とウイスキー造りの準備にとりかかるのでした。
つづく
2014年9月14日日曜日
「マッサン」が始まります(その3)
単身スコットランドに渡った竹鶴政孝は大学で醸造学の勉強を始めます。しかし大学ではウイスキー造りの実践的な知識を得ることができず、自分はいったい何をしにきたのか悶々とした日々を過ごします。
そこで彼はモルトウイスキーの蒸留所の門を叩きますが訳のわからない東洋人がやって来たのですからどこも門前払いです。唯一ロングモーン蒸留所が彼を招き入れて、しばらく働かせてくれました。
ロングモーンは以前はやまやで販売していたので愛飲してましたが、今は手に入らなくなり、自宅に残った最後の1本には手をつけられなくなりました。
さてロングモーン蒸留所で竹鶴はありとあらゆることをメモに残しました。これは後に彼が日本でウイスキー工場を造る際の重要な資料になりました。
ペンと紙だけでウイスキー造りの技術を盗んでいったと言われるくらいです。
そうしてスコットランドで過ごすうちにお世話になっているお宅の娘さん、リタと親しくなりました。
彼女は竹鶴政孝を「マッサン」と呼びます。これが連続テレビ小説のタイトルとなったわけです。
日本に帰る竹鶴と一緒になるというのは相当な覚悟だったことでしょう。
ウイスキー造りの技術を身につけた竹鶴はリタと共に日本に帰るのでした。
つづく
そこで彼はモルトウイスキーの蒸留所の門を叩きますが訳のわからない東洋人がやって来たのですからどこも門前払いです。唯一ロングモーン蒸留所が彼を招き入れて、しばらく働かせてくれました。
ロングモーンは以前はやまやで販売していたので愛飲してましたが、今は手に入らなくなり、自宅に残った最後の1本には手をつけられなくなりました。
さてロングモーン蒸留所で竹鶴はありとあらゆることをメモに残しました。これは後に彼が日本でウイスキー工場を造る際の重要な資料になりました。
ペンと紙だけでウイスキー造りの技術を盗んでいったと言われるくらいです。
そうしてスコットランドで過ごすうちにお世話になっているお宅の娘さん、リタと親しくなりました。
彼女は竹鶴政孝を「マッサン」と呼びます。これが連続テレビ小説のタイトルとなったわけです。
日本に帰る竹鶴と一緒になるというのは相当な覚悟だったことでしょう。
ウイスキー造りの技術を身につけた竹鶴はリタと共に日本に帰るのでした。
つづく
2014年9月13日土曜日
「マッサン」が始まります(その2)
竹鶴政孝の実家は広島県竹原の造り酒屋「竹鶴酒造」です。
長男である彼は、家業を継ぐべく醸造課のある大阪の高校へ進学します。
アルバイト先の摂津酒造という会社で彼はウイスキーと出会うこととなります。
当時の日本ではウイスキーといえばアルコールに色と香りを付けたもののことでした。
摂津酒造でもその紛い物のウイスキーを作っていたわけです。しかし社長はこれからは日本でも本物のウイスキーを造る時代が来る。それには本場スコットランドからウイスキー作りの技術を学ぶ必要があると考えていました。
そんな時、勉強熱心な学生の竹鶴青年をスコットランドに行かせたいと思ったのです。
彼は本物のウイスキー造りに興味があり、是非とも行ってみたいと思いましたが、実家を継がなくてはいけない身であるため、悩んでいました。
そんな彼の思いを知って摂津酒造の社長が広島まで出向き竹鶴の親を説得して、竹鶴政孝は単身スコットランドにわたるのでした。
つづく
長男である彼は、家業を継ぐべく醸造課のある大阪の高校へ進学します。
アルバイト先の摂津酒造という会社で彼はウイスキーと出会うこととなります。
当時の日本ではウイスキーといえばアルコールに色と香りを付けたもののことでした。
摂津酒造でもその紛い物のウイスキーを作っていたわけです。しかし社長はこれからは日本でも本物のウイスキーを造る時代が来る。それには本場スコットランドからウイスキー作りの技術を学ぶ必要があると考えていました。
そんな時、勉強熱心な学生の竹鶴青年をスコットランドに行かせたいと思ったのです。
彼は本物のウイスキー造りに興味があり、是非とも行ってみたいと思いましたが、実家を継がなくてはいけない身であるため、悩んでいました。
そんな彼の思いを知って摂津酒造の社長が広島まで出向き竹鶴の親を説得して、竹鶴政孝は単身スコットランドにわたるのでした。
つづく
2014年9月12日金曜日
「マッサン」が始まります(その1)
9/29から、NHK連続テレビ小説「マッサン」がはじまります。
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝さんの夫人リタさんをモデルにした物語です。
私は学生時代に酒屋でバイトをしていました。その時そのお店の本棚に置いてあった「ヒゲのウイスキー誕生す」という本を読んで以来、ニッカウヰスキーの、そして竹鶴政孝さんのファンになりました。
「マッサン」をより楽しく、深く観ていただくために竹鶴政孝さんについて何回かに分けて少しお話させていただきます。
もしかしたら一部ネタバレになる可能性があるかもしれませんがご了承ください。
つづく
ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝さんの夫人リタさんをモデルにした物語です。
私は学生時代に酒屋でバイトをしていました。その時そのお店の本棚に置いてあった「ヒゲのウイスキー誕生す」という本を読んで以来、ニッカウヰスキーの、そして竹鶴政孝さんのファンになりました。
「マッサン」をより楽しく、深く観ていただくために竹鶴政孝さんについて何回かに分けて少しお話させていただきます。
もしかしたら一部ネタバレになる可能性があるかもしれませんがご了承ください。
つづく