2014年9月16日火曜日

「マッサン」が始まります(その5)

ウイスキー造りには第一にスコットランドに似た気候。第二に麦芽を乾燥させる際の燃料であり、ウイスキー独特なスモーキーフレーバーに欠かせないピート(泥炭)が近くで入手できることが必要です。

竹鶴は全国を調査した結果、この条件に適した場所である北海道の余市に工場を建てることを提案しました。

しかし、その提案はあっさり却下されます。
北海道はあまりに遠いために、せっかく工場を作っても、取引先に見に来てもらえないというのがその理由です。

妥協せざるを得なかった彼が選んだ地は、京都の大山崎です。現在もサントリーの工場があるのはご存知の方も多いでしょう。


大山崎で工場を造る際、かれがロングモーン蒸留所で記録してきたメモが活躍します。ポットスチルと呼ばれる蒸留器も彼のメモに基づき設計されました。

完成した工場でウイスキーの仕込みを始めます。ウイスキーは樽に積めてから何年間か寝かさないといけません。竹鶴は最低5年は寝かさないといけないと考えていました。しかしまたしても彼の考えは否定されます。会社から3年で出荷を始めるよう指示されます。

ウイスキー造りは任せると言われていたのに、まったく思い通りにいきません。

彼は退職を決意したのでした。

つづく

4 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    これまで、見ないようにしていましたが、とうとう読んじゃいました。
    なるほど、そういうストーリーなのですね。
    花子とアンも見ていますが、次は朝ドラ初の外国人ヒロインというところばかりがクローズアップされていて、何となく、見ないかも…と思ってましたが、COMTECHさんの記事を読んで、見てみようかなと思うようになりました。
    実は、私も学生時代に小さなお店でしたが酒屋でアルバイトしていました。
    私はアルコールはダメなのですが、バーボンに興味を持ちました。
    今でも、バーに行くとバーボンですね。

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  2. SECRET: 0
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    HEROさん。
    我慢できなかったんですね。
    私の話は旦那の竹鶴政孝さんの話なので妻のリタ視点の物語とは違うでしょうね。
    楽しみにしてください。
    ウイスキーは私もバーボンからですね。
    学生当時はチューハイブーム前であったため、宴会ではウイスキーの水割りを飲んでいました。
    しかしどのウイスキーでも同じ味がするんです。
    ちっとも美味しいと思いませんでした。
    ところがバーボンをロックで飲むと味がある。しかも銘柄によって味が違う。
    薄くしすぎて美味しくなかったんですね。
    それ以来ウイスキーにはまっていきました。
    最近は飲む機会が減っていますが、スコッチもバーボンも、もちろんニッカも愛飲しています。

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  3. SECRET: 0
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     最初から、ニッカの人ではなかったのですか?
     2月の雪だらけの余市ニッカ工場で、ガイド付きでしっかり説明を
     受けて来ましたが、元はサントリーに居た?なんて話はなかったですね。
    倉庫の床が、土間だというのには、驚きました。

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  4. SECRET: 0
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    ハラさん
    元サントリーということはあまり知られていないですね。日本で最初に本格的ウイスキーを造ったのはサントリーで、そのウイスキーを造ったんは竹鶴政孝なんです。
    日本のウイスキーづくりの父と言われています。

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